南アジア地域で未発見・未調査遺跡の探検調査活動を実践してきたNPOです

第5次隊1985

スリランカ密林遺跡探査隊1985(第5次隊)活動概要

第5次隊隊長 執行 一利(Kazutoshi SHIGYO)

 開発が進み、濃密なジャングルが大規模に伐採されたマハウェリ川中流域は、もはや「地理的探検」のフィールドではなくなってしまった。本来ならば、法大隊の遺跡探査活動はここで打ち切られるはずであった。4次に亘る探査経験者(のべ18人)の間でも、もう一度遠征隊を組織して再びスリランカへ向かう意思を持った者は当時、全くいなかったのである。

takuhon そんな状況の中で、1981年にたまたま執行がコロンボを訪ねた際、考古学局副局長だったシリソマ氏(当時)が「南東部のジャングルには、まだまだ埋もれた遺跡がたくさん眠っているのだが」と語った一言が、第5次隊派遣の発端になったのである。

 考古学局では、この地方での調査が重要であることを知りながら、予算や人員不足で、一部の地域を除いて調査の手がほとんどつけられていない状況であるという。たしかに測量局発行の地図を見ても、南東部のこの地方(ルフナ地方)は、開発が始まる前のマハウェリ川中流域に匹敵するような広大なジャングルが広がっており、我々を引き付けるのに十分な魅力あるフィールドが埋もれていたのである。

 その後、日本に帰った執行がOBと談合を重ね、また法政大学探検部創部20周年事業の一環とする案なども浮上した。さらに、考古学局から非公式の協力要請が伝えられたこともあって、執行一利を隊長として正式に遠征隊を組織することになった。

 隊員構成は、片岡和仁(OB、副隊長)、会田慶宏、和田琢哉、天野賢一、庭野吉広(以上学生)の6名と、途中参加組の岡村隆、境雅仁(以上OB)である。
 今回の探査予定地は、法大隊にとって初体験の地であったため、慎重を期して重装備の遠征隊とした。

gyuusya 1985年6月24日に先発隊が日本を発ち、コロンボで本隊と合流し、現地機関への挨拶、情報収集(武装ゲリラ組織の出没の有無など)、船荷の通関などを済ませ、ベースキャンプ予定地のコティヤガラ村へは7月21日に入域した。

 ベースでの生活をはじめてみて、最大の問題となったのが水である。乾季は村の中にあるほとんどの井戸が枯れてしまい、当隊も1キロ離れた井戸まで、毎日水汲み・水浴びに通うことになった。

 また、最初のうちは、外国人である我々と村の人々との間で、意思の疎通の面ですれ違いが多かった。例えば密林内での動物の危険に対処するため雇用したハンター兼案内人と一部の隊員との間に軋轢が生じ、その収拾に頭を悩まされることになった。今回の隊はスリランカが初めての隊員が多く、言葉の問題(シンハラ語)もあって最初は戸惑いがあったようだ。しかし、活動を終了する頃には、全員がある程度のシンハラ語を話せるようになってコミュニケーションの問題も解決した。いずれにせよ、村の人々の協力抜きには、今回の活動の成功はおぼつかなかったことを強調しておきたい。

water 遺跡探査活動は、近くの遺跡の日帰り探査行から序々にグレードアップして、ジャングルの中に野営しながら数日間の探査行を繰り返す形態をとった。野生のゾウやクマ、豹など人間を襲う恐れのある動物が多数、ジャングルの中には生息し、当隊も釈迦三尊像を発見したウィラオヤ・ブドゥパトゥンナ遺跡近くや壁画の残るタルガハガマ遺跡でクマと遭遇し、危うく難を逃れる場面もあった。

 移動手段としては、一部の遺跡探査に牛車を利用したものの、大部分の遺跡へのアプローチは徒歩であり、隊員にとって体力的にかなりきつい行動であったと思われる。特にウィラオヤ・ブドゥパトゥンナ遺跡へのアプローチは、乾季のため干上がった砂漠のようなウィラ川の川床を、炎天下延々と半日歩く強行軍が待っていた。しかも、飲み水を得るために川床を2m近く掘らなければならなかった。

 一方、ウィラ川と対照的にコティヤガラから南へ一日行程(これも重い荷物を担いで歩いた)のクンブッカン川は、水量は少なくなるものの乾季でも干上がらず、この地方ではオアシスのような存在である。そのため水を飲みに来るゾウや鹿など多数の動物を河畔で見ることができたし、水のある快適な前進基地として利用することができた。

budupatunna 活動終了の10月3日までに、総計51か所の遺跡地点を探査することができ、予想以上の成果を挙げることができたと考えている。わけてもウィラオヤ・ブドゥパトゥンナ遺跡は、上座部仏教が主流のスリランカでは極めてまれな大乗仏教系の遺跡で、岩を丸彫りにした釈迦三尊像は、考古学上もまたスリランカ美術史上も重要な価値を持つと考えられる。

 また、大規模な石柱群を境内に持つカバッラ・ウェヘラの寺院遺跡、刻文の刻まれた岩陰や仏足石が散在するレーナッターガラ周辺の遺跡、岩窟に描かれた壁画のあるタルガハガマ、それにウェッダが描いたと思われる岩陰壁画や見事な彫刻の施されたビソーコトゥワ(暗渠式水路)の残るバドゥグネカンダ、その他多数の遺跡で発見された刻文など、数多くの貴重な遺跡データを収集することができた。

 その一方で心残りなのは、何と言ってもブドゥパトゥンナ・ガルゲー遺跡を発見できなかったことである。ウィラ川流域のどこかにあるという岩陰の下に、一説では500体あまりの仏像が安置されているという。

 この情報の重要性に気づいた我々は、前後3回に渡って探査活動を繰り返したが、正確な遺跡地点が不明であるのと、濃密なジャングルに阻まれて、結局発見することができなかった。また、当初の予定では、クンブッカン川の南に広がるヤラ国立公園内の遺跡探査も考えていたのだが、野生動物保護局から入域許可を得る事ができず断念した。

 これらを今後の課題として残したまま、本隊はコティヤガラを10月3日に撤収し、キャンディにて持ち帰った資料を整理し、コロンボの考古局、日本大使館に挨拶して10月16日に現地解散した。

第5次隊で調査した主な遺跡

1.〈21〉ウィラオヤブドゥパトゥンナ

 巨岩に丸彫りされた釈迦三尊像、仏塔跡、礎石、石柱などがある。特に釈迦三尊像は上座部仏教が主流のスリランカでは極めてまれな大乗仏教系の遺跡であり、5次隊で調査した遺跡の中でも特に重要であると考えられる。 

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ウィラオヤブドゥパトゥンナ概念図

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釈迦三尊像(1985年調査時) 釈迦三尊像(1993年盗掘後)

2.〈29〉カバッラーウェヘラ

 仏塔跡、石柱群、外壁跡等、敷地形状が比較的明瞭な大規模な寺院遺跡。ジャングルに覆われていて、地形的に顕著な特色(岩丘上、山の頂上、水系沿い)のない平地に広がる遺跡。土中に深く埋もれていることから今後の発掘調査に期待される。
 他に規模の大きな寺院遺跡としては、現在、寺院として復元中の〈5〉ワッテガマ、〈22〉ワッターラマなどがある。

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カバッラーウェヘラ概念図

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石柱群(B-1) 石柱群(B-2)

3.〈50〉ウェヘラディウラーナ

 5次隊で調査した遺跡の中で、スケール、遺跡の数ともに最も規模の大きかったと思われる遺跡。東西300m、南北250mほどの岩丘上一面に寺院遺跡が分布している。3つの仏塔跡、ガードストーン、岩陰、刻文、仏像、パタハ、階段跡他多数の遺跡が見られた。
 その他に岩丘にひろがる規模の大きな寺院遺跡としては、〈18〉ディンブラーガラカンダ、〈42〉ガルエッサーワラカンダなどがある。

4.〈44〉バドゥグネカンダNo.1

 貯水池の水を取水し排水する水門施設(ビソーコトゥワ)が見られる。ビソーコトゥワの暗渠部分は崩れてしまっているが、石材を積んだ土手上の掘り下げられた部分では水鳥や蓮の花などの装飾の彫られた石板などもあり、技術的にも美術的にも高度な建造であると考えられる。 
 また、付近にはいくつかの岩陰があり、その内のひとつには先住民族ウェッダーが描いたと思われる壁画が残されていた。他に水利施設の遺跡としては〈43〉ヤクナトゥワラの溜池跡と水路跡などが発見されている。

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バドゥグネカンダNo.1概念図(部分)

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ビソーコトゥワ概念図

5.〈39〉タルガハガマカンダ

 岩窟の側壁に連続した亀甲模様(岩絵A)が描かれていた。白い漆喰の上に緑色の顔料で描かれており、刻文から仏教僧団に寄進された岩窟であることは判別できたが、仏教系の壁画であるのか、或いは同時代の壁画であるのかいずれも断定することはできない。またウェッダが描いたと思われる壁画(岩絵B)も発見されている。
 その他、壁画や刻絵の残る遺跡としては、〈26〉マイッラ、〈27〉ハタラスガルゲー、〈44〉バドゥグネカンダNo.1、〈45〉バドゥグネカンダNo.2(ストゥーパ刻絵)等があった

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タルガハガマカンダ(岩絵A) タルガハガマカンダ(岩絵B)

スリランカ密林遺跡探査隊1985・1993(第5次・第6次隊)活動報告書
『スリランカ・ルフナ地方の密林遺跡』
RUINS OF THE ANCIENT RUHUNA CIVILIZATION
―in the jungle of Kumbukkan Oya Basin―SRI LANKA

report56 和英対訳版
発行:法政大学探検部
(A4判274項・1999年)
頒価3,000円
メールにてお問い合わせ下さい

目次

報告書の刊行によせて  鈴木佑司……3
Preface Masatoshi A. KONISHI(小西正捷)……5
Introduction 調査地と調査活動の概要  岡村隆……7
  はじめに
  スリランカという国
  調査地の背景
  法大探検部とスリランカ遺跡調査
第5次隊の活動概要  執行一利……11
第6次隊の活動概要  岡村 隆……13
調査隊の組織 派遣本部・隊員……15

【遺跡調査報告編】
前書 ルフナ地方の歴史的意味と調査遺跡  執行一利……18
  調査地域全図…… 22
  凡 例…… 24
第5次隊(1985年)遺跡調査報告(遺跡一覧)・(概要抜粋)
  1.コティヤガラ村西方の遺跡群……25
  2.エティモレ村周辺とウィラ川流域の遺跡群……57
  3.コティヤガラ村周辺とその南方の遺跡群……85
  4.クンブッカン川及びアラコラ川流域の遺跡群……131
第6次隊(1993年)遺跡調査報告(遺跡一覧)・(概要抜粋)
  1.コティヤガラ村周辺の遺跡群……181
  2.クンブッカン川流域の遺跡群……215

【隊務報告・資料編】
第5次隊・第6次隊 行動記録……250
第5次隊・第6次隊 装備報告……255
第5次隊・第6次隊 食糧報告……258
第5次隊・第6次隊 医療報告……260
第6次隊 記録・測量報告……262
第5次隊・第6次隊 会計報告……266
新聞記事……268
参考文献リスト……270
協賛者芳名録……271
あとがき  天野賢一……273

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